絵図・写真集など

20150405 飛鳥山散策

東京都北区JR王子駅の南西側に隣接する飛鳥山公園は享保年間に将軍徳川吉宗により桜の名所として一般公開されました。その後明治期に上野公園、浅草公園と同じく日本最初の公園として指定され現在は飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢資料館と3つの博物館を持つ公園として都民のいこいの場と成っています、しかし江戸期に入る以前の此処飛鳥山の様子はどうであったか意外と知られていません。

錦絵は広重の「名所三十六景 東都飛鳥山」

 

 

20151108 築地場外市場

慶長8年(1603年)、徳川家康が江戸に幕府を開き政治の中心が関西地域から江戸に移りました。そのため西本願寺もこの地に支院を設置することにしたため、元和3年(1617年)、浅草御堂と呼ばれる築地本願寺の前身である御堂が浅草横山町に創建されました。境内には末寺18ケ寺、その下寺10ケ寺の計28ケ寺の西本願寺派の地中子院がありました。

 

築地一帯が寺町だったんですね。お寺ばっか・・・。

 

 

20160410 小金井公園

小金井堤は、玉川上水をはさみ、かつては桜の木が連なる地として知られていました。これらの桜は、江戸時代中期に大和の吉野山、常陸の桜川から移植されたもので、小金井橋の上下が最も美しい景色とされたそうです。

左は歌川広重の「江戸近郊八景 小金井橋夕照」。広重の行動範囲の広さにびっくり・・・。

 

 

20161030 吉原江戸散歩

 浅草寺から当時水路だった山谷堀を通り、吉原へ。今も残る江戸当時の吉原へのルートをなぞって散歩しました。

勿論、おべんきょーですよ、おべんきょ~。 

 

ぶら多摩HPも併せてご覧ください。http://buratama.jimdo.com/旅の写真集/

 

 

 

                                                            山谷堀 跡

 

 

20170416    小石川植物園・伝通院散策

ニュートンがリンゴの実が落ちるのを見て「万有引力の

法則」を発見・・・そのリンゴの分身が小石川植物園に。

メンデルの葡萄、イチョウなど興味深いたくさんの植物が見られました。

 

徳川家と縁の深い御薬園で、赤ひげ先生で有名な施薬院として小石川療養所が設置されました。目安箱で民の意見が反映された貴重な歴史を学ぶことができました。

写真はニュートンのリンゴの木。

 

徳川家の菩提寺。寺は徳川家康の生母於大の方の法名「伝通院殿」にちなんで付けられました。千姫、家光の正室孝子をはじめ多くの徳川の女性たちが眠っています。

 

また、幕末の志士や著名な文豪などの墓もあり、都会の静かな高台で歴史と文化に触れることができる空間です。東京の中にたくさんの江戸を見つけた一日でした。

 

 

 

  

 

 

20171015  佃・月島 江戸の水運巡り

      「佃は古き江戸の島」といわれる

          佃島巡り からスタート。

              赤い佃小橋を渡り、佃煮発祥の地                          へ。佃煮と徳川家康との縁は?

           など、江戸の雰囲気が漂ってきます。

  左の図は住吉神社の大幟で今でも

   例大祭の時に使われています。

   同じ空間に二つの時代が感じられ

   た佃島でした。

   反省会は月島の「もんじゃストリ

   ート」で。温泉の一角に観音様が

   いらっしゃいました。 

 

 

 

20180415     乃木坂から赤坂見附・・・ゆっくり江戸探訪

現代的な美しいデザインの国立新美術館から東京ミッドタウンの外観を眺め、坂の多い江戸探訪へ出発です。といっても、江戸時代ここは長州藩毛利家の広大な大名屋敷でした。

ビルの谷間をゆっくり進むと緑の多い「檜町公園」が見えてきました。遊歩道から東屋へ着くと小さな滝と広い池のある静かな空間が広がりました。都会の中心でほっとできる場所、そこに江戸の時間が存在しているのです。たくさんの坂道にも当時の人々の息遣いを

感じます。

三分坂 急坂のため車賃が銀3分(ぷん)  薬研坂 坂の形状が薬を砕く      やげんの図

    値上げする報土寺を右に上る。    「やげん」に似ている。

                        下って、上って・・・  

20181111  旧東海道品川宿・晩秋

品川宿は、東海道1番目の宿場町。品川宿の道幅は当時と変わってないとか。江戸時代の賑わいとは違いますが、大名行列や商人たちの往来、人々の生活のざわめきなどが聞こえてくるようでした。

埋め立ての様子もよく分かりました。将軍家光公と沢庵和尚の禅問答跡地、鯨塚、品川宿本陣跡など江戸がたくさん残っていることが分かりました。品川神社の富士山にもお参りし道中の無事を祈りました。ここには板垣退助の墓所もあります。東海寺、海蔵寺、願行寺、品川寺(ほんせんじ)などたくさんのお寺がありました。江戸時代から明治、現代へと歴史を巡る遠足になりました。

「東海道品川宿の立て看板」  船だまりの向こうにビル群が見える。  品川神社の富士登山道